2006年11月26日(日)
「功名が辻」で僕が一番気になる回(決して明るい話しではありません)
今日は種崎浜の虐殺の回でした。
土佐国は当時四国の雄長宗我部元親の子盛親の所領でした。盛親は関ヶ原で西軍(石田方)につき、家康からその所領を全て没収されます。そのかわりとして、山内一豊が土佐二十四万石(江戸期)を与えられたのです。
しかし長宗我部の残党、特に一領具足と呼ばれる屈強な家来達が、山内家の土佐入国に激しく抵抗しました。そこで山内一豊は、だまし討ちともいえる方法で一領具足たちを虐殺したのです。これが種崎浜の虐殺です。これ以降大規模な抵抗はなくなり、土佐は平定されました。
後に土佐藩では、山内家家臣を上士、旧長宗我部家家臣を下士として、差別的な扱いをすることになりました。そのため下士は上士に対して反感を持ち続けることになり、幕末に至るのです。
幕末の坂本龍馬や吉村寅太郎らが下士出身であったことは、こういった歴史が響いているといえるかもしれません。又、上士であった板垣退助や後藤象二郎が薩長の明治政府に対抗して、自由民権運動を行うのも無関係ではないような気がします。
こうみると、山内一豊の土佐入国は、土佐人の気質までも変化させたようです。戦国の世とはいえ、まつりごとというのは、難しいものです。
そして、その気質は現在の高知県人にも脈々と受け継がれているように思いますが、その話しはまた後日に。。。
土佐国は当時四国の雄長宗我部元親の子盛親の所領でした。盛親は関ヶ原で西軍(石田方)につき、家康からその所領を全て没収されます。そのかわりとして、山内一豊が土佐二十四万石(江戸期)を与えられたのです。
しかし長宗我部の残党、特に一領具足と呼ばれる屈強な家来達が、山内家の土佐入国に激しく抵抗しました。そこで山内一豊は、だまし討ちともいえる方法で一領具足たちを虐殺したのです。これが種崎浜の虐殺です。これ以降大規模な抵抗はなくなり、土佐は平定されました。
後に土佐藩では、山内家家臣を上士、旧長宗我部家家臣を下士として、差別的な扱いをすることになりました。そのため下士は上士に対して反感を持ち続けることになり、幕末に至るのです。
幕末の坂本龍馬や吉村寅太郎らが下士出身であったことは、こういった歴史が響いているといえるかもしれません。又、上士であった板垣退助や後藤象二郎が薩長の明治政府に対抗して、自由民権運動を行うのも無関係ではないような気がします。
こうみると、山内一豊の土佐入国は、土佐人の気質までも変化させたようです。戦国の世とはいえ、まつりごとというのは、難しいものです。
そして、その気質は現在の高知県人にも脈々と受け継がれているように思いますが、その話しはまた後日に。。。

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